日田が誇る風景画の世界

1927年/昭和2年に現在の日田市豆田町に生まれた岩澤重夫は、幼少期から川をこよなく愛し、魚つりが唯一の趣味でした、晩年まで様々な風景画を描きましたが、それは全て魚釣りをするときの眼差しから生まれています。岩澤重夫氏の細密な風景画の世界をお楽しみください。

1952年から1971年の作品

岩澤重夫は、1952年に学校を卒業し1954年に堂本印象率いる東丘社に入塾します、様々な日本画の作法や仕組みを学び、懸命に精進を重ねた結果、1971年に初めて日展審査員に選ばれました。世の中は、高度成長の時代、日本画の需要は、右肩上がりで全ての作家が目を輝かせて意気揚々と制作に励んでいた時間です。岩澤重夫も師匠とともに夢のある時間を過ごしてきました。

1972年から2006年の作品まで

素晴らしい師匠に出会い、順風満帆だった青年画家でしたが、1975年春に日田市の父親、岩澤重郎が他界、その年の秋に師匠印象が永眠しました。その後、モノトーンな時代が10年続き、平成に入りようやく爽やかな領域にたどり着き、日田をこよなく愛する日本を代表する風景画家となります。

紙本彩色とは、

実物の日本画をご覧になったことはございますか? 瓶に入ってると砂時計の砂のような鮮やかな粉でできています。青い石から青い絵の具を制作する天然材料で岩絵具と呼ばれています。茶色や白の絵の具は、安いものですが、鮮やかな青や緑は宝石のような岩石から作られるので大変高価です。そこに鹿や鳥の骨を使用して抽出されたにかわを使用し描かれています。にかわは、バイオリンを制作する際にも使用される天然素材で環境に合わせて伸縮する特徴がああります。正確に制作された作品は、300年経過しても美しいものです。

日本画の世界は、いかがでしたか、

大分県日田市は、多くの川に囲まれた水郷と呼ばれる小京都です。隈の温泉街では屋形船に乗って鮎料理を嗜み、豆田町では、雛人形のイベントを見ながら天然うなぎのひつまぶしを食す、本当に絶品なのです。新型コロナ収束の際には、ぜひご家族でお越しください。