solo exhibition at Nagi Museum of Contemporary Art

 

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 岩澤有徑展

〜はるかなる宇宙と未来へ〜

2012年6月16日(土)ー7月16日(月・祝)

人生で初めて入場料の必要な個展を開催させていただくこととなり、身の引き締まる思いで準備を進めてまいりました。打ち合わせに行く時に車が故障し、やむなく新幹線で出発したのですが、岡山駅から普通電車に乗り換え、津山駅まで1時間少々、何も考えずに駅前のタクシーに美術館の名前を告げると、郊外型の量販店や自衛隊の基地を走り抜け、ようやく到着。メーターを見ると5500円!えーすごいとこやな、、、と驚きました。隅々まで会場をチェックし個展の作品を思案していたら、当時の副館長様が「岩澤さん何か奈義町にゆかりのある作品を作ってください。それが、県外の人が個展を開催する名目なのです。奈義町の景色を映像にしてみてはいかがですか?」とのご提案、をいただきました。 数日思案したのち、いやそれは、私ではなくても制作する人がきっといるはず、私にしかできないものは何かと思案の末に、「奈義町の人を撮影させてください。とお願いしました。」そこで、副館長様に町長様と当時の女性館長様にインタビューさせてください、とお約束をさせていただき、期日にアシスタントを連れて撮影にいったところ、お身体の様子が優れないのでお帰りになりました。とのお答え、そこで、急遽計画を変更し、美術館にこられたお客様を次々インタビューし、帰宅後その内容をチェックして思案の末に、素晴らしい映像作品を制作しました。内容は、肖像権の問題がありここでは、公開できませんが、のちにJRの関係者がご覧になり、岡山駅のモニターでも放映されたそうです。


 

 

 


 

 

岩澤有徑の昨日・今日・明日

 坂上義太郎 

最近の私の絵画観だが、個人の世界観から生まれる絵画 を見詰め直す作業は”人が人である”という当然の事実を 食いつぶそうとする消費社会への静かなる挑戦ではないだ ろうか。最早、量や速さを誇る情報が持て囃される時代は 終わり、今求められているのは”人間性の回復”と質だと おもう。 2010年12月、神奈川県民ホールギャラリーで開かれた 「 美術の地上戦 」に出品した岩澤は、カタログへ次のよ うな文章を寄せている。「 長い歴史の中で自分の生きてい る時間と位置を確認することが私の作品です。私たちの周 りには、いつも太陽と月と地球があり、その誕生とともに 大切な時間が流れているいう事実。そこにクラゲという、 まだその誕生の時期が解明されていない生物がいる一方で、私たち人間が作り出した文明という産物があります 」。興 味深い作品制作姿勢の文章だ。

●太陽と月と地球  岩澤は地球を、楽譜の配列を自己のシステムとして、専 用のスコアを作り、それに基づいてドットの場所を決め、 L.E.D.を用い、映像化している。彼は2004年頃から、プ ロジェクターをして壁面に投影している映像を、あくまで 平面絵画と位置づけている。一般的に絵画とは、物体の形 象を平面に描き出したものを指すのだが、しかし、従来の 絵画における描くという行為の固定観念は、私たちの一方 的な思い込みかも知れない。岩澤の映像=平面絵画という 考えは、傾聴するに値するかもしれない。つまり彼は、絵 筆の代わりにプロジェクターを当て、映像を絵具に見立て ているのだ。題材には、太陽と月と地球を。私たちの地球 には海と陸がある。地球は水の惑星とも呼ばれる。海があ ったからこそ生命体が生まれるのだ。だが、宇宙や生命に 比べて地球はあまり語られていない。「 映像作品で、実際 何が表現出来るかまだ手探りです。でも未知なる挑戦は、 私に生きる時間と空間という最大の課題を示唆してくれま す」と展覧会への熱い思いを語る岩澤。

●クラゲ(水母・海月)  2007年の秋に神戸市で開かれた「 港で出会う芸術祭 KOBE Biennale 2007 」における(アート・イン・コンテ ナ展)の公募(応募者350名。応募作品356作品)で、 岩澤は51作品入賞の中に入っている。「 THE WORLD FAMOUS PROJECT 6 - KOBE 」は、山形県鶴岡市立加茂 水族館に取材したクラゲの海中を浮遊する映像品を、展示空間であるコンテナ内に投影していた。クラゲは、地球生成時から今日まで生存しつづけている有数の軟体生物であろう。私は、浮遊するクラゲの映像を通して、心地よい律動を感じながら、悠久の時に思いを馳せ、しばし海という時空間に漂っていた。と同時に、私の人生航路のあり方をも思索していた。

●舞妓 (「 仕込みさん 」から「 見習いさん 」へ ) 19世紀末は、フランス印象派が象徴するように近代絵画の黄金時代である。と同時に美術は、平面と立体の次に時間表現への挑戦が、この時代に始まっている。その時間表現を写真の方が、一足先にやってしまった。それは、組写真という考え方である。2枚の写真に前後の関係をつけ、空間的に配置するだけで写真の間に時間が生まれてくる。例えば、健康器具の使用前 ● 使用後の実例写真といったお馴染みの手法である。その後、現代美術でもよく使われる時間表現の方法となる。岩澤は、正に舞妓に扮装する前と扮装した後を写真ではなく映像で時間表現を提示しているのである。

●奈義町で撮影する人物映像の作品
 西洋美術で人間像が中心となったのは、”人間は神のかたちでつくられた”というキリスト教の教義が前提となっているからである。そして、神の手による人間が芸術を創造する。今回岩澤は、展覧会を開催する奈義町現代美術館のある奈義町の人々を映像で捕らえるという。してみると、奈義町の人々の肖像を借りて、人間が生命進化の30億年の歴史のはてに出来上がったことや陸や海で暮らしているという地球の生命の歴史をも映像化するのではないだろうか。このように岩澤の作品を通観してみると、時間と空間が大切な課題となっているようだ。私たちは、時間とともに、生活している。また、時間の経過や進行を過去、現在、未来という言葉で表現できることも事実である。岩澤は、長年にわたり、時間や空間との葛藤を日々繰り返しながら全身全霊を傾け、創造心を駆り立てている。これからも時間と空間が不変の課題となることに異論はないだろう。今回、身近にアートを実感させてくれる岩澤の映像作品は、奈義町の人々にどのように映るだろうか。今から期待が膨らむ。 

(さかうえよしたろう/前伊丹市立美術館々長、BBプラザ美術館顧問)

 

 

 

 

 

 

 

岩澤有徑 2002-2012 はるかなる宇宙と未来へ 

 岸本和明

  人々の <観る> という行為を、 メディアを駆使して様々な手 法と視点で問い掛けていくことは、古今東西のアーティストたち にとって普遍的且つ永遠のテーマである。 岩澤有徑(いわさわ ありみち)氏も、このテーマに独自の解釈と視点を加え果敢に トライしているアーティストである。 1958年生まれの岩澤氏は、桑沢デザイン研究所で学んだ後、Bゼミ・スクールを経て、´89年に東京での初個展を皮切りに ´10年までの期間、名古屋、大阪、京都、韓国などのギャラリー でほぼ毎年作品を発表してきた。一方で、´91年以降、国内 ・ 外のグループ展に精力的に参画し作品発表している。 90年代 初頭から京都アート界の知的な風雲児として台頭してきた岩澤 の活躍は、今日まで静謐で精密機械のようなテンションを保ち つつ、観る者を包み込むような作品を着実に発表している。 また、岩澤氏の立ち居振る舞い、行動力に無駄がなく、それで いて柔らかい人当たりの中にも、その眼力からは内に秘めた 微動だにしない強烈な信念と意志を強く感じ取ることができる。背筋の通った、スリムな凛とした体躯から、美しい映像とペイ ンティングという異なるメディアと融合させた作品として結実さ せていることに深い感銘を受ける。岩澤氏の作品は、常に展示される場所、会場のサイズと状況を良く理解、把握し、その場にしか成立しない組み立て方を考察し、その場の持つ特異性を内包させたサイトスぺシフィックな空間を創出させる。中でも、岩澤氏の作品を象徴的に捉えることができるのは L E D を使って地球を表現した作品である。 不規則に点滅する光の法則は、自選したクラシックの楽譜を もとにしたもので、旋律を光のドットで表現している。光は人口 を意味し、生命が存在する法則を可視化させているものである。 また、クラゲが漂う映像作品は、人類より先に生息していたで あろうといわれる神秘的な姿や動きは、 進化の過程をなぞって考える上で、岩澤にとって相応しいモチーフといえる。これら、彼の一連の作品「 The World Famous Project 」は、「 生命 」、「 誕生 」、「時間 」、「 空間 」、「 場所 」、「 宇宙 」などと いった数多くのキーワードを内包しているため、作品と建物を一体化させ、それぞれの展示室を「太陽」「月」「大地」と名付け<見立ての美>として提示している奈義町現代美術館のコン セプトと通底し、それを関連させることで、作品空間や展覧会の持つ意味をより特化させようとしている。人類が誕生したといわれる悠久の歴史を経て現在まで脈々と流れる時間と空間、地球や月の誕生の謎との関係性、自分 自身を取り巻く場所や家族など様々な関係性など、ゆっくりと 自分自身と向き合い考えることが出来る空間を創り出そうとし ている。 映像とペインティングは、複雑な響き合いをみせながらも、静かで理知的な語りかけをしてくる統一感を持ったインスタレーション空間を創り出している。 訪れた観客は、映像とペイン ティングを前にして一瞬戸惑いを覚えつつも、上下左右に身体 を動かしながらまるでエクササイズするかのように感覚を次第 に馴染ませていきながら、無意識のうちに観て行くことを強いられる。現実と非現実的な世界、日常と非日常的な世界とを同時に経験し、 体感していく。その一連の体験の中で、自身の 記憶や経験を呼び起こしていこうというある種のマジック的と も捉えることが出来る<装置としての作品>を制作している。 作品を見つめていく現在の自分自身と、その自身を取り巻く 様々な現実や事柄を実感しながら「 視る 」という行為を継続し、体感していくものである。 岩澤氏は、このことを「 観る人にいつのまにか<見ることを 強制している物>を提示していきたい 」という独特のいい回しで表現している。 前後に移動する視線と、その差し込む方向を思考させながら、人々の眼差しに揺さぶりを掛けていくもので ある。 普段何気ない「 観る 」という行為を考察していく作品を イメージの中で重ねることで、更に拡大し、 深化していく新しい視点を見出す切っ掛けを我々に与えてくれるであろう。

( きしもとかずあき/奈義町現代美術館副館長 ) 現在は、館長

 

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岩澤有徑の作品について

 向井修一 

私が2001年に『 ARIMICHI IWASAWA 1988 - 2001 』岩澤有徑作品集の編集にかかわった時は、 絵画作品がそのほとんどを占めていたと記憶する。 一方で、 絵画制作と同じ時期に映像作品も作り始められ、 最近の展覧会では、 一緒に展示されるようになった。 絵画と映像の仕事を約20年にわたって作り続けて来た岩澤の作品の魅力について語りたいと思う。

『 呼吸する絵画 』
岩澤の絵画作品、 特に3 m、4 mクラスの大型作品は、 展覧会場内で組み立てられ、 終了後、 分離されアトリエに戻る。 この過程に彼のコンセプトの重要な部分が隠れている。まず、 格子状に角材を組み合わせたものに彩色された布を張り、 キャンバスのように仕立てる。 その4側面に幅10cmの透明アクリル板を取り付ける。 これをすべて覆うように、 ドローイングされた半透明のビニールをかぶせる。 布とビニールの間には空気が閉じ込められている。表面に出てくるのは、 厚さ0.1mmというビニール。 強靭な構造の上に、 薄い膜がある。 それを通して下図が透けて見える二層構造である。 彼が独創的な構造を発見する前 (1995年頃 )は、キャンバスに絵具という従来の方法で絵画が作られて来たが、 この二層ボックス状絵画によって、 一気に世界が開けた。表面に露出しているこの膜が呼吸するかのごとく、 また凪ぎの時の波のように、 常にかすかに揺れている。 布とビニールの閉じ込められた空気が、 見るものを幻惑させる装置になっている。屋外展示した作品は、 格子状の着彩された木材の構造をみせながら二層共ドローイングされたビニールでできている。そこに自然光が作品に入り込み、 新しい表情を見せる。ビニールは雨風にも耐えられる特殊なもので、 見た目より耐久力がある。 作品の前に立つと、 見る人の動きによる空気の震えを、 敏感に薄い膜は感知する。 その特異性は、 抽象絵画の 「 意味/記号の系列解説 」 から離れ、「 眼球→脳回路 」から「 眼球→身体回路」の新しいチャンネルを感知させてくれる。その後、 不定形なフォルムから、 明確なルール( 太陽や月の運行規則等 )が適用された。 L E Dを組み入れ、 ドット( 点 )が、設定された時間によって点滅するという深化を見せている。特に最新作のシリーズは、よりコンセプトを明瞭に提示している。作品そのものが生成する身体的感覚を呼び起こさせてくれる 「 呼吸する絵画 」は一貫して岩澤作品の強みである。

『 時間をずらす映像 』
「 THE WORLD FAMOUS PROJECT 」のスタートは1966年。絵画作品と同時進行する形で、 映像作品を造り続けている。今回の展覧会で発表されるのはシリーズ11番目になる。 今までの作品のなかに登場して来たのは、 公園の遊歩道、 月、 太陽、雲、 フェリーから見たマンハッタン、 ロボット犬AIBOの遊び道具のピンクのボール、 舞妓さん、 クラゲ、 飛行機。 展覧会のスペースによって、 3 つの異なる映像を同時に映したり、 天井部分に投影する。 また、 絵画平面作品を挟むように同じ壁面にも投影される。観客は視点と意識のはざまを漂流していく。例えば、 時計を見ずに目をつむって、 1分間を測定するとする。5人が計ると5秒ほどの違いが出る事があるという。この身体感覚の差異を科学的に証明するかではなく、 映像を通してどう見せるかが大きなテーマになっている。3つの映像を同じ壁面に投影した作品は、 左から月、 太陽、ピンクのボールが映し出される。 それぞれが編集、 加工されているため、 それらを同時に見ることによって、 時間の経過により、それぞれの名前は喪失し、 すでに3つの球体の運動のみを目で追う事になる。 巧妙に時間軸がずれていることに気づいた時は、<岩澤時間>の中に取り込まれている。舞妓さんの1日を追った映像( 化粧、 着付け、 髪結い、 お茶屋への挨拶等 )では、 一旦、撮影したモノをすべてシャッフルさせ、時間軸を完全に編集し直す。 そこにはドキュメンタリーの要素は完全に消え去り、 時間の伸び縮みを純粋に楽しませてくれる別の映像作品に成り代わっている。また、 クラゲを撮影し、 天井や壁面に大きく投影させた作品や、自身の絵画作品の両隣に雲の動きを撮った映像を流した作品など、 会場によってさまざまなアプローチをしている。 映像の中にいると、時間磁場の微妙なずれを感じ、幻惑される。韓国、 タイ、 ニューヨーク、 ハンガリーなどでグループ展や個展を企画して来た岩澤の経験が、 観客を特定しない世界的視点に立ったこれら映像作品を創らせている。 それがタイトル「 WORLD FAMOUS PROJECT 」に象徴されている。
( むかいしゅういち/美術評論 )